昨年のゴールデンウィーク明け、つくばでの「おやゆび姫」が終わり、「次回公演でやりたいものがあったら、出してください」との声掛けに、「銀河鉄道の夜」と、二人の方から声が上がりました。
すぐに、本棚から持ち出して、読み直しました。さらに、学生時代に購入した藤代清治さんの影絵絵本「銀河鉄道の夜」を見直し・・・・・う~ん、難しい。
通常の、台本を書くときの手順は、
- 起承転結を頭に入れながら、大まかな構成を考える
- 登場人物を整理する
- シーン割をする
- ナンバー(挿入する曲)を決める
- 全体のバランスを見て、書き始める
のですが、その前段階、「この作品で何を描くか、何を見せるか」が決まらないだけでなく、本の中に描かれている一つ一つの、「描かれる意味」がわからないところが沢山ありました。
伝記を読んだり、他の作品を読んだりするだけでは、台本を書く責任は果たせないという思いで、3ヶ月が過ぎました。
大きな転機になったのは、岩手への旅でした。
北上川のほとりに立ち、その風を感じ、岩手軽便鉄道やイギリス海岸に思いを馳せました。
小岩井牧場から岩手山を眺め、あの山の頂上から一晩中星を眺め、ギリシャの物語に自分の夢や理想を重ねていったであろう少年賢治へ、思いを馳せました。
記念館や童話村、イーハトーブセンターでも、沢山の収穫がありました。
そして、何冊かの書物を手に入れたことが、更に大きな収穫でした。
『銀河鉄道の夜』の「原稿のすべて」、「フィールドノート」、「解体新書」
賢治さんの弟さんが書いた「兄のトランク」
この4冊は、特に精読させて戴きました。
久々に、論文が書けるくらい、大学ノートにびっしりと書きました。
大学ノートに書かれた一つ一つを丁寧に考察しながら、台本の構成を決めていきました。
提案を戴いてから半年後、やっと、ある程度納得のいく台本が脱稿しました。
その後も、舞台上での見せ方も含め、何度も何度も演出家が手を加え、上演ギリギリまで、作り込む作業が続きました。
こうして、1年間、この作品と向き合い、あのような舞台作品になりました。
我が家では、病気で学校を休んでいるときには、新しい本を母親が買ってきてくれました。小学2年生の時、「はしか」で学校を休んでいるときに母が買ってきてくれた「小公女」は、ふわふわとした想像力のかたまりのようだった私に、初めて「人はどのように生きるべきか」考えさせてくれた書物でした。
当時目にした、街角でひざまずく傷痍軍人、神田の駅前で靴磨きをする少年、そのような戦後の景色とともに、セーラ(小公女の主人公)への憧憬は、この「銀河鉄道の夜」につながっているのかなと、思ってもみたりしています。
ピアノのレッスンに来る子供たちが、時々、学校の「読書カード」のようなものを持ってきます。それを見て、月に何冊読んだかという「数」では無く、「何を感じたか」だと、私は思うのです。
時には、深く読む「質」を求める読み方を、子供たちも、是非してみて欲しいなと思うのです。