南吉さんとごんに逢いに

実は、たかさごマルシェの前の木・金で、愛知県半田市に行って来ました。
平日、しかもマルシェでの本番の直前でしたが、「ごんぎつね」の作品に描かれている「彼岸花」の季節で、行ける日程はここしかなかったので、ちょっと強行軍でしたが、日程に都合がつく大学生たちを連れて行って来ました。

半田市岩滑(やなべ)は、ごんと、この作品を書いた新美南吉さんの故郷です。
名古屋から、知多半島に差しかかった辺りにあります。
休憩も入れて、車で7時間ほどです。

ここに流れる矢勝川が、あの兵十がウナギを採っていた川のモデルです。
この矢勝川のほとりが、「ごんぎつね幻想」のオープニング曲「君にあいたくて」を書いた場所です。
再びここに立ってみます。

川には、鯉のような魚がゆったりと泳いでいます。
川辺には、沢山の彼岸花。
向こうの山はごんげん山。
12年前は、地元の方にたまに会う程度でしたが、「ごんの秋祭り」というイベントをやっていたこともあってか、テントやキッチンカー、そして行きかう人も多く、静かにごんと南吉さんに逢いたかった私としては、ちょっと残念でもありました。
それでも、タイムスリップしたような感覚に見舞われる瞬間もありました。

矢勝川沿いを散策した後訪れた南吉記念館では、たっぷりと時間を取り、一人一人が、じっくりと、南吉さんと向き合ってくることが出来ました。
それぞれに、南吉さんが書いた文章をかみしめたり、企画展での教え子たちの言葉や、彼の人生を追っての展示に目を向けたりしながら、「彼が求めていたもの」や、「青春」や、29歳と言う若さで亡くなってしまう無念さなどを受け止めて来たことでしょう。

以下は、記念館で、みんなが撮った写真の一部です。

昼食の後は、南吉さんの生家へ。

記念館は、資料などが整理されて展示されていますので、沢山の理解を得られました。もちろん、心で感じることも沢山でした。
しかし、南吉さんの生家を訪れると、そこには、特別な「気」が流れていると言いますか、ある種の生々しさがありました。
当時の生活やここに住んでいた人の思いが、ダイレクトに迫ってきます。

同行者の一人が、ガイドの方に、
「南吉さんは、どの部屋で亡くなったのですか?」と聞くと、
「この、隣の部屋ですね。」と。
そこは、畳職人の父親が仕事場にしていたと思われる、小さな板の間でした。
2月、3月の最も寒い時期に、障子もない、土間続きの板張りの部屋で亡くなったのですね。
部屋を眺めるだけで、胸が痛くなりました。

南吉さんの人生と、必死で愛を求めるごんが一層愛おしく感じられた、半田市への旅でした。

役者たちと一緒に、ここで感じたものを大切に、作品を作って行こうと、気持ちを新たにして、茨城に戻りました。