スタッフ
脚本:上原久栄
音楽:後藤知明
演出:後藤ひろゆき
振付:MAYUMI
照明:石島奈津子(東京舞台照明)
音響:長岡真知子、黒田理紗
舞台美術:内山勉
小道具:大滝順二
衣裳:劇団クリエ
ヘア・メーク:高久重則(エルベ)
舞台監督:井関景太
あらすじ
第一幕
はるか昔、天竺の旧仲という国では、帝であるリンエ大王の後添の妻と、一人娘の金色姫との折り合いが悪く、いじめが耐えなかった。 大王は泣く泣く姫を桑の木で作ったうつぼ舟に乗せ、海上遥かに流した。
舟は流れて流れて、豊浦に漂着。それを漁師の権太夫が見つけ、不憫に思って家に連れ帰った。姫の辛い身の上話を聞き、権太夫とその家族は一層姫を哀れに思い、 家族として共に暮らそうと決心する。しかし、肌の色が違う見たこともない異国の姫を、村人達は「村に災いをもたらすに違いない」と 忌み嫌い、権太夫とその家族は村八分になっていく。自分の身の上をどうすることもできない金色姫は、一人ひそかに苦しんだ。
第二幕
ある日、とうとう姫は病の床に付いてしまう。どんなに愛しても、姫の心が満たされない事に権太夫は悩みつつ、一日も早い姫の快復を筑波山に祈りに出掛けた。 やがて、村中に姫の病の噂が流れ、「村中に疫病が流行る、姫は疫病神に違いない」と村人は怯え、姫を捨てるか村から出ていくように権太夫の家に申し入れる。
一方、天竺の大王は姫を舟で流したことを悔やんでいた。継母は、これで独り占め出来ると思っていた大王が、毎日沈んでは海を眺めているのを見て、 自分の愚かさに気付いていく。
家族の看病もむなしく、姫はついに命がつきてしまう...。
ものがたりをめぐって
この作品は「金色姫伝説」「蚕影山神社縁起」を基に書き下ろした。
「茨城にはこんな伝説があるので、これをもとにミュージカルを書いてみれば?」という友人の勧めである。
蚕影山神社(こかげさんじんじゃ)は筑波山の南麓、豊浦(現つくば市神郡)というところに現存する。 天竺から流れ着いてこの地で亡くなった金色姫を、権太夫という漁師が祀ったとされる。
権太夫に逢いたい!
むかし、雄略天皇の御代に、権太夫という漁師がいた。浜に流れ着いた異国の姫を不びんに思って家に連れ帰り、話を聞いて、 いっそうあわれに思って、大事にしました・・・・。この金色姫の伝説を読み、流れ着いた異国の姫を想像してみた。舟で漂流の長旅を続けて来た姫はどんな風であっただろうか。 肌の色や顔立ちなどは日本人とは違い、身に着けていた物も、見たこともないうえにボロボロであったろうし、化け物のように見えたのではなかろうか。 権太夫はそれを不びんに思って家に連れ帰り大事にした、と書かれている。どんな男だったのだろう、権太夫とは・・・・。
このものがたりでは、資料としたものには書かれていない村の人々の様子も描いている。こんな騒ぎが実際には起きなかったのだろうか? 驚き、恐れ、忌み嫌い、流行りの病が村中にうつっては大変・・・と、当時の感覚としては、そう思ってもおかしくないのではないか。 かつて、この地は養蚕が盛んであったとのことであるが、それは、権太夫が蚕を独り占めしなかったからであろう―。こんな様々な想像をしながら、 「金色姫ものがたり」の台本は書かれた。丁度イラク戦争が現実味を帯びてきた頃で、テロや戦争などの争い、宗教や人種や部族などの違いがもたらすもの、 憎しみあわねばならない人々、そして身近なところでも起きている子供の虐待や残虐な犯罪の増加と低年齢化など、今ある様々な社会の問題と重ね合わせながら。
稽古場で稽古を見ていて思った。「権太夫に逢いたい!」ふと気付いてみると、おや、権太夫がいるではないか!私が逢いたかった権太夫が!